縄文時代とは?
縄文時代とは、15,000年前頃から2,400年前頃までの時代で、人々が磨製石器や縄を転がして表面に文様を施した縄文土器を用いるようになった時代のことを指します。
縄文時代 目次
縄文時代とは
約700万年前、人類が誕生し、原始時代が始まります。
その後、人類が進化し石器を使い始めるようになってからの時代は石器時代と呼ばれ、この石器時代は、打製石器を用いていた旧石器時代と磨製石器を用いていた新石器時代に区分されます。
さらに、日本では、新石器時代を「縄文時代」と「弥生時代」に区分しています。
このうち縄文時代は、15,000年前頃から2,400年前頃までの時代です。人々は磨製石器を使うようになり、また、縄を転がして表面に文様を施した「縄文土器」と呼ばれる土器を用いるようになりました。
縄文時代という名称は、この縄文土器から付けられた名称です。
縄文時代の時期区分
縄文時代は、以下のように時期ごとに区分されることがあります。
- 草創期:15,000年前頃~10,000年前頃
- 早期:10,000年前頃~7,000年前頃
- 前期:7,000年前頃~5,500年前頃
- 中期:5,500年前頃~4,500年前頃
- 後期:4,500年前頃~3,200年前頃
- 晩期:3,200年前頃~2,400年前頃
縄文時代の環境・気候の変動
縄文時代になると、氷期が終息に向かい、気候が温暖化していきます。それに伴い、旧石器時代とは大幅に自然環境が変化し、人々の生活も大きく変わっていきます。
温暖化により氷が溶けて海面が上昇します。特に縄文時代前期の7,000年前頃には海面が5メートル近く上昇し(縄文海進)、日本列島は大陸から切り離されることになります。
また、温暖化によって、自然環境は豊かになります。それにより、後記のとおり、食糧事情が安定化し、人々の生活は定住化していきます。
ただし、縄文時代の間ずっと温暖であったわけではなく、寒冷な時期もありました。縄文時代の後期・晩期は気候が再び寒冷化して食糧が減少し、中期までの時期に比べて人口も減少していたと考えられています。
縄文時代の石器や土器などの道具
前記のとおり、縄文時代には、石を砂や別の石で磨いて作った磨製石器が使われるようになりました。
また、縄文土器も作られるようになります。土器は、調理に使うほか、祭祀などにも使われていたと考えられています。
弓矢もすでに作られていました。また、土で作った人型・動物型の人形(土偶)やヒスイの勾玉などの装飾品も作られていました。
縄文時代の食料調達・調理
縄文時代の食料調達は、旧石器時代と同じく狩猟や採集です。
温暖化によって多くの木の実がとれるようになります。これらを土器を使って灰汁抜きをしたり、煮るなどして調理していたようです。
この時代には、ナウマンゾウなどの大型動物はすでに絶滅していましたが、イノシシやシカなど多くの動物が繁殖していました。弓矢など狩猟技術も発達し、より多くの獲物をとれるようになっています。
また、海面が上昇したことにより入り江などができ、また、水温も上昇して水中に入れるようになったため、魚や貝などの魚介も食料としていました。丸木舟と呼ばれる丸太をくりぬいて作った船も作られています。
このように食糧事情が大幅に改善したことから、縄文時代中期頃までに人口が大幅に増えたと考えられています。
ただし、前記のとおり、縄文時代後期・晩期には再び寒冷化し、狩猟・採集できる食糧も減っていきます。そこで、このころから、農耕が始められるようになります。
もっとも、食糧調達のメインはあくまで狩猟・採集であり、農耕は補完的な手段でした。農耕がメインとなるのは、弥生時代になってからです。
縄文時代の社会生活・住居
食糧事情が安定すると、獲物を求めて移住する必要が無くなります。そのため、人々の生活は、定住化していきます。
定住生活になったため、テントのような住居や洞窟などではなく、竪穴式住居を建て住まいとするようになり、また、掘立柱建物の倉庫なども建てるようになります。
そして、徐々に、複数の家族が集まって集落を形成するようになります。このような小集落は「ムラ」と呼ばれます。
中央に広場などを置き、その周りを住居で囲む環状集落が多く発掘されています。
縄文時代のムラには階級はなく、全員が平等に協力し合って生活していたと言われています。また、ムラの中やムラ同士の争いなどもなかったようです。
縄文時代の祭祀
前記のとおり、縄文時代には、土偶と呼ばれる土人形が作られています。
この土偶は、妊娠した女性の姿をしていることから、豊かな実りを祈るために使われていたとか、災害などを避けるための身代わりとして使われていたなどさまざまな説があります。
また、土偶以外にも、男性器を模った石棒と呼ばれるものや土で作った土板などが作られており、縄文時代においても何らかの祭祀が行われていたことがうかがえます。
埋葬も行われており、土に1人ずつ埋める土亢墓のほか、竪穴建物に埋葬していた遺跡も見つかっています。墓には副葬品も一緒に埋葬されています。
縄文時代の交易
縄文時代では、すでに日本全国的に交易が行われていたと考えられています。
また、列島内だけではなく、朝鮮半島などとも交易を行っていたようです。
縄文時代期における世界の状況
日本が縄文時代であった頃、世界では、すでに農耕や牧畜が始まっている地域がありました。
縄文時代の前期~後記頃に当たる6,000年から3,000年前頃には、黄河文明・メソポタミア文明・インダス文明・エジプト文明という世界の四大文明が生まれています。