日本の原始時代とは?
人類が誕生し、まだ原始的な生活を営んでいた未開の時代を「原始時代」といいます。日本の原始時代は、約4万年前、大陸から人類が日本列島に移住してきたときから始まります。
原始時代とは
原始時代とは、人類が誕生し、まだ原始的な生活を営んでいた未開の時代のことです。
およそ700万年前、アフリカでチンパンジーとの共通祖先から最初の人類が誕生します。この最初の人類を「猿人」といいます。
人類は進化を続け、約240万年前に「原人」が登場し、約60万年前には「旧人」が現れ、約20万年前に我々の直接の祖先となる「ホモ=サピエンス」が誕生します。
約6万年前、このホモ=サピエンスたちはアフリカを飛び出し(出アフリカ)、世界各地へと散っていきます。
そして、約4万年前、アフリカを出て世界に散って行ったホモ=サピエンスは、日本列島にも到達します。それが、日本史の始まりとなります。
※ただし、島根県で7~12万年前の地層から石器が出土しており、その頃からすでに歴史時代は始まっていたのではないかという研究もあります。
日本人のルーツ
前記のとおり、約4万年前、日本列島に人類が移住してきます。日本の歴史はここから始まります。
人類が日本列島に渡ってきたルートとして、①朝鮮半島からのルート、②北海道からのルート、③沖縄からのルート、があったと考えられています。
約4万年前の日本はまだ氷河期です。そのため、海面が低く、朝鮮半島と日本列島は接続している時期もあったことから、①朝鮮半島を経由して日本列島に移動することは可能であったでしょう。
また、シベリアと北海道も接続している時期がありました。そのため、②約2万年前にシベリアを経由して北海道に渡ってきた人類もいたと考えられています。
現在発見されているうちで最も古い人類の化石が沖縄で発見されていることから、③台湾を経由して沖縄に到達した人類もいたと考えられています(ただし、この化石は、骨格などからして縄文人との関連性が薄いと言われています。)。
つまり、日本人には、中国、ロシア、東南アジア、オーストラリアなど複数のルーツがあり、それらが混血して、後の縄文人となっていったと考えられているのです。
日本の原始時代の流れ・時代区分
世界史的に、原始時代は、人類が石器を使うようになった約260万年前頃から石器時代に入り、石器時代は、用いていた石器の種類によって、旧石器時代と新石器時代とに区分されます。
旧石器時代は、打製石器(石を打ち砕いて作った石器)を用いていた時代です。他方、新石器時代は、磨製石器(石を砂や別の石などで磨いて作った石器)を用いていた時代です。
日本の場合、新石器時代は、縄文時代と弥生時代に区分されます。つまり、日本の原始時代は、旧石器時代、縄文時代、弥生時代に区分されるということです。
日本の旧石器時代(40,000年前頃~15,000年前頃)
前記のとおり、旧石器時代とは、人類が打製石器(石を打ち砕いて作った石器)を用いていた時代です。
日本の旧石器時代は、日本列島に人類が移住してきた約40,000年前頃から縄文時代の始まる15,000年前頃までの期間です。
日本の旧石器時代は、以下のような時代です。
- 旧石器時代当時は氷河期であり、寒冷な気候でした。
- 石を打ち砕いて作った打製石器や動物の骨などを砕いて作った骨角器のような簡素な道具を用いていました。まだ土器は登場していません。
- 狩猟と採集によって食料を調達していました。農耕は行われていません。
- 人々は食料を求めて常に移住する生活を送っており、定住はしていませんでした。建物と呼べるほどのものはなく、住まいはテントのようなものや自然の洞窟などを利用していました。
- 旧石器時代の後期には、すでに火が使われていたと言われています。
縄文時代(15,000年前頃~紀元前10世紀頃)
15,000年前頃になると、石を砂や別の石などで磨いて作った磨製石器が用いられるようになります。世界史的に言う新石器時代です。
日本では、縄を転がして表面に文様を施した「縄文土器」が作られていたことから、紀元前13000年頃から後の弥生時代が始まるまでの時代を「縄文時代」と呼んでいます。
縄文時代は、以下のような時代です。
- 縄文時代には氷河期が終わり気候は温暖化し、自然環境が豊かになりました(ただし、寒冷な時期もあったようです。)。海面は5メートル近く上昇し、日本列島は大陸と切り離されます(縄文海進)。
- 石を砂や別の石で磨いて作った磨製石器が用いられるようになりました。
- 土器が作られるようになります。この時代の土器は縄を転がして表面に文様を施されていたことから、縄文土器と呼ばれています。また、弓矢なども作られていました。
- 食料調達は狩猟・採集が中心です。ただし、縄文時代晩期になると、すでに水稲をはじめとした農耕が開始されていました。
- 氷河期が終わり気候が温暖化し、食糧事情が改善されてきたため、徐々に、移住型の生活から定住生活に移行していき、人々は環状集落を作って生活するようになります。住まいは、洞窟などから竪穴式住居へと変わっていきます。
- 土器や火を使った簡易な調理も行われていたようです。また、貯蔵庫や燻製を作る装置なども作られていたようです。
- 土偶と呼ばれる土で作った人型・動物型の人形が作られていたことから、縄文時代にはすでに何らかの祭祀が行われていたと考えられています。
- すでに、全国的な交易が行われていました。さらに、大陸との交易も行われていたと言われています。
弥生時代(紀元前10世紀頃~3世紀頃)
新石器時代の後期、紀元前10世紀頃になると、食料確保の中心的手段は、狩猟・採集から農耕へと移り変わっていきます。日本では「弥生時代」と呼ばれる時代です。
東京都文京区の弥生町遺跡から縄文土器とまったく異なる様式の土器が発見されたことにから、この土器は弥生式土器と呼ばれるようになり、また、この土器が使われていた時代を弥生時代と呼ぶようになりました。
弥生時代は、紀元前10世紀頃から古墳時代が開始される3世紀頃までの時代を指します。この弥生時代は、以下のような時代です。
- 石器だけでなく、大陸から青銅器や鉄器が伝来し、これらが使われるようになります。
- 食糧確保の中心的手段が狩猟・採集から水稲を中心とした農耕に移行します。それに伴い、生活様式も定住となります。
- 弥生土器は、縄文土器と比べ薄くて固く、実用的な形になっています。
- 水稲農耕の開墾や利水のため、人手や指導者が必要になってきます。そのため、人々は農耕指導者をリーダーとした集落を作るようになり、社会に階級が生まれます。
- 各集落は、より豊かな農地を求めて、他の集落と争うようになります。そのため、弥生時代の集落は、集落の周囲に濠を巡らせた環濠集落(かんごうしゅうらく)化されていきます。
- 集落は、争いを繰り返すうちにより大きな集落となり、小さな「国」が生まれ、その指導者は「王」となります。
- 弥生時代晩期には、全国に小国が乱立する状態になり、大乱が起きたこともありました(倭国大乱)。有名な国が、中国と国交を持った倭奴国や邪馬台国などです。
- 倭奴国や邪馬台国の使者が中国に訪れていたことから明らかなとおり、すでに大陸と積極的に交流するようになっています。